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ものわすれブログ

診療所70周年、秋に移転します!

 歯科医師になった後、寝たきりの人や認知症がある人の口腔ケアを歯科医として訪問診療をやろうと考え、38年前の当時では一般的な考えではなかった「訪問歯科」を目指したとたん、(当時理解がなかった)社会から弾かれて挫折し、「それなら医者になろう」と考えてこれも四苦八苦、気がつけば認知症専門医として30年目の春です。


 診療所も両親(父が歯科医、母が内科・眼科医)が大阪の下町で開業して70年目にもなります。

妻の母を介護し、妻の介護も7年目になりました。実家の診療所の3~5階がボクの実家で、4年ほど妻の介護をしてきましたが、40年前の鉄筋コンクリート住宅(しかも3~5階は狭い敷地の細い建物)で段差が多く、入浴ひとつとっても大変な介護者生活でした。

 一昨年、思い切って長年住みなれた京都に戻って介護を続け、ボクが京都‐大阪間を通勤していたら、そこにコロナ禍が襲いかかってきました。それからは通勤時の感染の可能性を避けながら週1回のPCR検査を受けて診療してきた1年でした。

 そこでこの春、感染防止を心掛けた換気の良い診療所で、かつ、妻の介護でも段差がない条件を考えた結果、今の大阪・千林の診療所から歩いて10分ほど離れたところに新築移転することにしました。新森5丁目というところです。この4月に着工し10月ごろに出来上がります。

 診療所70周年事業といえば聞こえがいいのかもしれませんが、コロナに振り回された結果の移転です。でもこの機会を考えて、待合室に大勢の患者さんや家族が集うコロナ前の待合ではなく、感染を防ぎ妻の介護もしやすいバリアフリーの小さな診療所に建てかえることにしましょう。


 これまで自分の中にもいくつもの迷いがありました。過去には結婚以来住み続けている京都に診療所を移転しようかと考えた時もありました。首都圏の何人かの先生から、週に2日ほど東京や横浜で外来を担当しないかというお申し出を受けたこともありました。お調子者なのでいつも話をもらうたびに揺れる自分がいたのですが…。


 そこに来たのがコロナ危機でした。今から思えば京都に診療所移転したとしても、この国難に際し両親が診療所を展開し、ボクも育った地域のことを考えれば、おそらく地域のために何もせずにいることはできなかったでしょう。今、考えればコロナの影響があったからこそ、この地域で認知症医療を続けようと決心できました。

 両親の時から4代にわたって通院してくれた患者さんがいます。地域の学校を出たボクの同級生が夫や父母のために受診してくれることも増えました。診療所に通ってくれた人々とのこの30年を考えると、フラフラしていた自分の気持ちが固まり、できる限り(できれば死ぬまで)この地域でやって行くことにしました。


 さあ、もうひと踏ん張り、臨床医としての自分を地域で生かしていくことにします!でもね、また借金です~。

 


 

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