コロナ禍 ケア職へ、ふたたび
ふたたびケア職のみなさんに。
今年はじめ、1月23日に武漢の都市閉鎖が始まりました。ボクらはそれから半年、恐怖と不安を生き抜き、日々を送ってきました。
無理をしていませんか。頑張り過ぎて体が悲鳴をあげ、こころが擦り切れてはいませんか。また首都圏や関西で感染者数が増えてきたこの時期に、対応を迫られているすべての人に、メッセージがあります。
ボクは少し疲れました。
日々の診療に細心の注意を払い、高齢の先生から「認知症で独居の患者さんが咳をしているが、自分が診るのは怖い」とのメッセージを受け止め、最前線で闘う医師とは比べ物にならない程度ではありますが、自分なりに奮闘してきた半年でした。
われわれはとても我慢強く感染を避け続けていましたが、やはり移動の自粛の緩和と共に、少しずつ広がってきました。そこに新種の豚インフルエンザのニュース、飛びバッタの被害、香港の友人からの絶望のメールが届き‥‥今回の大雨。ふと、自分が疲れを感じていることに気づきました。
勘違いしないでください。この「疲れた!」は事態をあきらめた発言ではありません。投げ出しての言葉ではなく、1月以来続いてきた精神的緊張感が、ボクのような医療従事者やケア職のみなさんに過重になっていることを再認識すべき時だとサインを出しているのです。
過剰なストレスはボクがかつてある本に書いたように、短期では1.5か月、3か月、6か月で表面化しやすく、年単位では1.5年、3年、5年、7年と続きます(自分の研究ではね)。そのことを知ったうえで、「そろそろ疲れを感じる」と自覚すべき時期かもしれません。
ずっと、あの時からがんばりすぎていませんか。
弱音がはけることも、プロとしての自己覚知です。みなさんはこの6か月、自分を忘れるほどケアに身をささげてきた人です。そんな時、無意識に「まだ頑張れる」と思い続けてはいませんか。頑張りすぎる人ほど無意識に自分が受けている過剰ストレスを「なかったこと」にしてしまい、突然襲ってくる体調不良やうつに悩まされます。
とくに今が要注意です。大きなストレスがかかったこの6か月を何とかやり過ごし、ほっとしたのもつかの間、また感染者が増えてきた今こそ、だれのこころにも絶望が広がりやすい時期です。「あれだけやったのに、もうこれ以上、限界に近い努力をするなんて無理だ」
と無意識が感じた時、人のこころはその事態そのものがまるで「無いことのように」ふるまおうとします。
認知症ケアでも当事者の状態が安定していた直後に悪化した時が家族にもケア職にも大きなストレスになるのと同じで、安心後の事態悪化が最もストレスフルです。今、まさにわれわれが置かれた状況と言えるでしょう。
「あれほどがんばったのに、またか」と幾度もくり返しやってくる危機に、それでも向き合う姿勢が続けられてこそ、この仕事は続けられます。長い勝負になるでしょう。そんな戦いの中、ボクらは皆、弱い存在です。だからこそ‥‥、
弱音を吐いて涙を流しましょう。それでもなお、この事態にいのちを支え続ける自分から逃げないなら、あなたの人生は、そう生きるべく選ばれたのかもしれません。
この先を考え、力を抜いてがんばり過ぎず、自分にも目を向けてみましょう。Franklのことば「あなたがいるだけで、この世界は意味を持つ」がボクの29年の医師人生で最もこころに響く夜です。
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