コロナ禍の大文字2年目、祈りの夜
- 松本一生
- 2021年8月16日
- 読了時間: 2分
今年も大文字の送り火はコロナ禍での人込みを避けるために規模を縮小し6点の点火になりました。

妻の介護を始めた2014年夏、30年住み続けた中京区御所南(なかぎょうく ごしょみなみ)地域で大文字が見えた自宅を手放して大阪の診療所(上階)での介護を4年、その後2018年に「やはり京都に戻りたい」と鴨川近くのマンションを借りることにしました。11階建てのマンションの最上階にいるため、手前のリッツカールトン京都から鴨川の川面を望み、東山の大文字を今年も見ています。
おそらく今年で最後になるでしょう。この11月には大阪の新森に新しい診療所ができ、その上階で妻の療養生活が始まります。京都のマンションでは妻の動きが取れませんでしたから。ボクにとっては最後の大文字かな~と思うと寂しい気持ちにもなります。今後も娘はここに住むと思いますので、8月16日に京都に来ればよいのですが、なかなかそうもいかないでしょうね。
カトリックのくせに(笑)40年近く送り火は大切にしてきました。宗教的なことは別として、お盆に返って来た先祖をお送りするというだけではなく、長い間、京都の町は大文字の送り火が灯らなければ大変なことになると言われるように、疫病退散の願いも込めて続いてきた「京都の祈り」です。
でも、昨年より桁外れに感染者が増えています。先のブログで「大阪の轍を踏むな」と書きましたが、まるでこの4月~5月の感染爆発のように、日本中での感染が拡大してしまいました。加えてここしばらくの大雨と洪水です。「大文字の送り火どころではない」という人々もたくさんおられることでしょう。この時点でまた今夜から大雨の予想です。来年こそ災害がなく感染もおさまって、これまでのように明るく全点火する送り火ができますように。
アフガニスタンのタリバンによる征服も、暗い影を世界に落とすことになりました。戦争は間違った判断でしたが、でもね、あれから20年に及ぶアメリカの介入はいったい何だったのでしょうか。アフガンにとってもアメリカ兵として送り込まれた若人にとっても。彼らはアフガンの平和を願って犠牲になったのではなかったのでしょうか。今、戦いとコロナ感染が重なったかの地のイスラムの人びとが、少しでもこころを安らかに過ごしてくれることを祈っています。
今夜は感染の終息と平和を願います。明日からはコロナと向きあいながら認知症の当事者と家族に向き合いながら、祈りの気持ちで日々を送ると決めました。
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